雪乃ブラックメンタルぶろぐ

誰にムリと言われてもしあわせになりたい

虐待の何がいけないのかー雪乃の考えー

 

 

暴力はいけない、心を傷つけるのはいけない、放置するのもいけない。

 

正しい子育てとは一体どんな子育てなのでしょうか。

 

子供を産んで、立場上は親になったとしてもその瞬間から決して間違いを犯さない正しい「親」と言うものになるわけではなく、ほとんどの方が手探りで子育てをするのが普通だと思います。

 

 

しかしその中にも「正しい子育て」と言うものが分からなかったり、金銭的に余裕がなかったり、夫婦関係がうまく言っていない、病気を抱えている、またはその複合的理由から子供の心や体を著しく傷つけてしまう「虐待」に走ってしまう親がいるのもまた事実です。

 

「虐待」がいけないことはわかっている。

 

でも具体的に何がなぜ、いけないのでしょうか。

 

 

今回は虐待と言うものが何を奪うのか、というところから、雪乃の経験に基づいて個人的な考えを書いてみようと思います。

 

 

 

 

「虐待」というワードがたくさん出てくるので、フラッシュバックのある方は要注意です。。

 

興味のある方はどうぞお付き合いくださいませ。

 

 

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虐待と一言でいっても種類があって、主に暴力等の身体的虐待、暴言やDVなどを見せる等の心理的虐待、性的虐待、食事を与えない等のネグレクトの4種類と言われています。

 

それぞれに各虐待の奪うものというのは異なると思うのですが共通して言えるのは被虐待者(虐待を受けた人)の「時間を奪う」ということだと思うのです。

 

奪われるのはどんな時間かというと、「虐待を受けている時間」「虐待について思いを巡らす時間(思い悩む時間)」「虐待によって病気に罹り、それを治す時間」主にこの3つで、最も長くなると考えられるのは「思いを巡らす時間」「病気にかかりそれを治す時間」だと思います。

 

 

 

虐待を受けた心の傷から治るにはそれを受けた期間の3倍は必要だと言われています。

 

 

仮に成人するまでなら、ゆうに60年は必要ということになってしまいます。

 

人生終わってしまいますよね。

 

 

成人する前に耐えられず10代で出ていったとしても、30年前後は必要な計算です。

 

 

それだけの時間を健康な状態で生きられたら一体どれだけのことが成せるでしょうか。

 

気が遠くなります。

 

 

 

雪乃は虐待と呼べるレベルでは無いかもしれないものの、家庭で受けた傷により元々持っていた解離が悪化し、鬱にもなりました。

 

具体的には、大怪我まで行かない程度の暴力、理不尽な罵倒、大事なものを壊される、覗かれる、性的虐待とまで行かない程度のセクハラ、無視される、兄弟差別などでした。

 

 

この程度でも、病気になってしまうことがあるのです。

 

 

私は解離で16年間記憶の途切れとぎれになり、普通の状態に戻ったあとは何年も「普通」にはなれず苦しみました。

 

今でも、愛情をあまり受けなかったことからくるのか、自分に好意を持ってくれる人を無意識に無視してしまい関係が悪くなる、ということを繰り返しがちです。

 

 

無視が始まる時は解離していてコントロールが効きません。

 

私にとって他者から向けられる愛情や好意と言った感情は未知のもので、恐怖の対象なのです。

 

 

 

そして、たとえ病気にはならなかったとしても、愛着の問題(他者と信頼関係が築けない)を抱えてしまう可能性や、自分の子供が生まれた時、自分の傷を子供にぶつけてしまう、つまり虐待に走ってしまうという可能性も考えられます。

 

 

私の母がそうでした。

 

 

母は自身も虐待を受けており、大人になっても物音にひどく敏感で神経質になるあまりドアを音を立てて閉めた子供を驚いて叩いてしまったり、いつも他人が自分を睨んでるように見えるといい、普通の表情をして普通の生活を送っている子供をいきなり蹴り上げたりと、その後遺症に苦しんでいました。

 

 

口にすることは雪乃が物心ついた頃から母から受けた虐待の話ばかりで、夫婦関係もうまくいっておらず、いつも苦しそうでした。

 

もう母は壮年に差し掛かりますが、今でもいろんなことに対して人生を悲観し、何をするにも気力がないと嘆いています。

 

母の母もまた、虐待を受けていたと言います。

 

 

 

 

虐待が奪う時間とは、世代間連鎖を起こした時「被虐待者」だけのものにとどまらず、その子世代の時間まで奪ってしまうのです。

 

 

 

しかし、誰を責めても、失った時間は戻っては来ません。

 

 

 

たとえ相手に復讐できたとしても、きっと「普通で優しい人間のあなた」は罪悪感に苦しめられるでしょう。

 

 

自分を取り戻すことは自分にしかできないのです。

 

 

どんなに傷つけられても、それが免罪符になり、誰かから助けてもらえるということは残念ながらありません。

 

 

私はそのことに長い間、気付きませんでした。

 

 

 

ずっと深い井戸の底で何もせず助けられるのを待っていました。

 

 

 

しかし、幸せになりたければ苦しくても這い上がるしかないのです。

 

這い上がろうとしても何度も落ちて、振り出しに戻ってしまたような気がすることもあります。また途中で這い上る指の爪が剥がれることもあります。落ちた時は、大怪我もします。しかし、それは心のたとえです。

 

 

私たちは生きています。

 

 

生き延びることができました。

 

 

 

 

死にたかった日も死のうとした日もたくさんあります。

 

 

 

 

でも死なずに生きています。

 

 

体が生きている限り、心は実は不死身なのです。

 

 

解離や失感情症など、一見これもうダメなんじゃないの?と思えるような症状があったとしても、それは心が生きているからこその反応なのです。これらは防衛本能なのです。あなたを守ってくれようとしてくれているのです。

 

 

つまり、自分の中に、心という名の最大の味方が付いているということです。

 

 

もっと心の声を聞いてあげましょう。

 

 

なにに悲しみ、怒り、喜び、楽しむのかもっともっと聞いてあげましょう。

 

 

あなたの心はあなたと仲良くなることを望んでいます。

 

 

そしてあなたの幸せを望んでいるのです。

 

 

 

 

 

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お読みくださりありがとうございました!

 

私は生まれたからには幸せになるのが人の義務と言っていいほど大切なことだと思っているのですが、今度はその理由でも書こうかなぁ。

 

ちなみにこんな世界でも雪乃は神様を信じているクチです・・・。

(宗教ではないですが。。)

 

 

その理由も合わせていつか記事にしてみようかと思います。。

 

 

 

では!